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シニア化と老人対策

昨年の夏、実家の長が亡くなり、2ヶ月後に実母が事故を起こし、入院・手術・
転院(と日本の病院は経営の関係で期間が区切られ追い出される)を余技なく
され、リハビリ病院へも交渉の末、規定の3ヶ月を超えた4ヶ月の間、つまり
(実母の希望である)「日本の冬の間、病院に居させてもらう」をなんとか2月
の後半まで実現させた。

昨年の7月から今年の3月末まで、結局、半分以上の時間を日本での滞在を
余技なくされ、藤井の人生のサイクルが、完全に変わってしまい、今もそれ
は続いている。

「老い」の問題、、、これは医学が発展して、命が伸びるようになるとどこの
国でも起こる問題である。しかし、日本の医療は国の「制度」自体が医者の
価値観を制度に反映できておらず、結果、医療ポイントを稼ぐために、つまり
経営して、生き残るための「医療」で、日本は先進国の中でも、飛びぬけて老
人がむやみに医者通いをする、つまり肝心な人たちに、本当の医療が与えられ
ない状況になっている。(おっと、医療の件は、また別の機会に書きます。)

(この続きは ↓ の read more... を押してください)


昨年の夏から、実家から家長がいなくなった。

非常に頭のよい人で、とびぬけて数字には強く、とにかく自分の兄弟妹の
脳味噌をひとりで吸収して生まれてきたような「知能指数」の非常に高い
人だった。

反面、人間としての「生身」の愛情や感情に欠けるところがあり、亡兄(=5年
前に白血病で他界)も藤井も愛情というものを感じることはなく、幼少の頃か
ら、証文を書かせられ、公正証書に割印をして準備するような環境に育ったた
め、大人になってからの人生には確かに大きくプラスになっているが、愛情の
ある暖かい家庭という環境は味わうことがなかった。

結局、現在は、オーストラリアにる藤井が実家のビジネスを継承しなくてはな
らない状況になり、何度も日本へ行き、集中的に仕事を処理し、何とか豪日の
間で、二つのビジネス(=藤井家のファミリービジネス+豪州で築いた自分の
CQLA他のビジネス)を回せるように、今後の人生計画をたてた。

そのため、仕方なく、大学院を一時中止し、ゴルフも完璧に中止となり、今年
5月となったが、未だに両方とも中止の状態である。

ゴルフは、実際には2009年11月、誰もリーダーシップを取りたくなくて愚
痴の連続だった各海外の機関のまとめ役で【海外のプロ】を立ち上げる役目
(=勿論、無償)を引き受け、その後、(その前から決めていた)大学院がは
じまったのでゴルフはしていない。

豪州人生で、ゴルフは2005年からずーと連続してきた唯一の藤井の運動で
あり健康法であった。10年前のMBAの時でさえ、週1回は結果がどうであれ、
週1回のコンペで運動していた。勿論、練習しないでいきなりコンペだから
結果は、良かったり、悪かったりだが、1回3時間以上、徒歩で歩き、ゴルフ
で身体を動かすのは、何より健康法だった。

大学院へ戻ったのは、自分の意思。3回目の学位だが、仕事とのバランスの
中で、ストレスはあるが、「学び」の中でのさまざまな経験を楽しんでいた。

ところが実家の長がいなくなった後、たった2ヶ月で実母が事故を起こした。
やっと日本からオーストラリアへ帰国した、たった10日目のことである。

義姉(=つまり亡兄の嫁)から電話があり、電動自転車で転んだ母が腰を骨折
して、通りがかりの人に助けられて、救急病院に運ばれたというのである。

義姉は一人娘で、母を3年前に亡くし、一人残った父親がまだまだ悲しみの中
でいるという、(兄が亡くなるまでは)平凡で幸せな主婦だったが、今は甥と姪
を育て、離れた実家に残る父親(=母親の死後、回りに親戚の多い、実家で
一人住まいをされている)の支えとなった。

とはいうものの、平凡な主婦が夫の死後、やむなく働くこととなり、5年前はPC
すら出来なかった女性だが、幸い、彼女の実父の仕事の紹介で、今の会社を
紹介してもらい、不景気な日本の会社の中でも事務職の貴重な人材として働
いている、とても素晴らしい「強い母」「頑張る女性」である。
(今度は、彼女の父親が手術・入院することになった。)

故に、彼女にこれ以上の負担はかけられないし、やはり実母も、義姉より実の
娘の方が心安いという、、、本音だろう。

あれから10ヶ月、、、、過去半年は、本当に大変だったし、日本に行っても豪州
へ帰ってきても、たまった膨大な仕事を処理するために、自分の時間などまっ
たくなく、ファミリービジネス、自分のビジネス、実母の世話とあけくれてきた。

その間、我が家のMingとCheekyは、馴染みの施設で預かってもらい、(我が家に
いる時は「お客様大好き」なのに)知らない場所では、パニックになるCheekyもそ
の施設の人気者になり、やれやれと思っていたら、3月初めにRhondaからメール
があり、とうとうMingがストレスでマル天禿げを作ったので、急いで部屋を移して、
他の猫たちからできるだけストレスのない部屋「ヒルトン」で今はいる、、、と連絡
があった。

4月初旬にオーストラリアに帰国してからは、CheekyもMingも藤井にへばりつ
き状態で、特にMingはいつもは早朝5時頃から1時間くらいは藤井の腕枕をね
だるのが、もう毎晩、夜中から朝まで離れないという状況になった。1ヶ月も
たつとマル天禿げもなくなり、このへばりつき状態も短くなったが、未だに
夜中からへばりついたり、早朝から数時間へばりついたりするので、朝の日課
もなかなか予定通りにできない。

彼らは猫といえども、藤井の豪州の人生をすべて一緒に過ごしてきた大切な家
族であり理解者である。MBAで苦戦している時、離婚に悩んだ時、最愛の兄が
亡くなった時、、、風邪や疲労で寝こんだいとき、、いつもそばにてくれた何より
も、何よりも大切な大切な「子供たち」である。

彼らがいるから、この家に「生命」が宿り、彼らがいるから「どうしてこんな大き
な家に一人でいるの?」という回りの疑問にも「3人は幸せだよね?」を毎日、
毎日、オーストラリアに感謝している。

回りからは「なんて美しいの?」「毛並みがビロードのようにつやつやね?」
「まだ2-3歳でしょう?」とうれしいコメントだが、彼らも10歳をすぎたシニ
アである。だから、毎日、べたべたに愛されている状態から、いきなり長い
期間、預かり所におかれると、いくらその預かり所が完璧な場所で、待遇も
申し分なく、愛情もかけてもらっているとはいえ、やはり彼らの「家」ではなく、
ましては藤井がいないから、ストレスがたまる。

毎回、迎えにいくと、二人にはものすごい声で文句をいわれ、預かり所のスタ
ッフからは羨ましがられる。Cheekyなど、家に帰り着く20分の間、毎5秒ご
とに「ミャー」と文句を言い、藤井が不在だった間、「xxができなかった」
「xxがしたかった」と文句の連続である。

それに引き換え、「淑女は声を上げない」と信じているMINGは何も言わないか
わりに、帰国した夜はもうベッドにはいった瞬間から朝まで、藤井の腕枕から
離れないから、彼女がマル天禿げを作ったのはもう相当のストレスで限界だっ
たのだと思う。

日本の母の環境は完璧にしてきた。

もともと関西大震災で半壊した後に建てられた実家は「耐震性」「保温性」「安
全制」と完璧で、特に寒い冬を老人が暮らすには完璧な家だったが、今回、介
護認定を受けた実母の為にソフトもハードも完璧にしてきた。

家の外回りから内部まで、手すりを付け、移動用には(日本ではまだまだ希少
価値で利用者の少ない)電動四輪を用意し、その駐車場所と充電の確保と雨天
の漏電による事故を回避するために、裏のカーパーキングに屋根を取り付けた。

また過去10ヶ月間の何度もの日本での滞在の間には、実家の外塀を塗り替え、
裏と表の門を塗り替え、庭師を入れ、家全体のお色直しもした。日本は職人が
来るたびに、お茶の面倒をしなければならないので、職人がいる間は家に張り
ついていなければならず、お金を払うは、世話をするわで面倒なシステムだ。

裏の見栄えがよくなったと実母は(最初は反対したくせに)大喜びで、訪問者
やタクシーは、皆、裏のカーパーキングに屋根を取り付けたために、それが表
と勘違いし、インターフォンをとるたびに「すいません、表に回って下さい」とい
わなければならなくなった。

約4.5ヶ月の間、特にリハビリ病院にいる3.5ヶ月の間に身についた規則正
しい食生活、バランスのとれた食事、曲がった背中が伸びたリハビリ、、これ
らを継続させるために、ありとあらゆる角度から検証した。

介護保険は、退院ギリギリに申請といわれるが、海外在ゆえ、全てをとにかく
早めは早めに計画し、こちらの仕事と日本の仕事、そして実母の世話との計
画で渡航計画をせねばならず、昨年の11月から役所、そして介護関係者と
の関係作りをしてきたお陰で、2月末に退院させてから約6週間の間に、すべ
てを、つまりハード部分もそして介護関係者のサービスによるソフト部分も完
璧に準備ができた。

心配していた電動四輪も、3月の寒い冬の中でも、暖かい日や時間をなんとか
工面して、何度も練習させ、自分でパーキングもでき、充電もでき、鍵もちゃ
んとかけられ、買い物先での駐車場での止め方、そこからの杖なしでも安全に
歩行できる方法、そしてかさばるものや重たいものの買い物は、オーダーして
宅配するシステムを利用し、藤井の帰国後はネットや国際電話で手配できるシ
ステムを構築した。

家のインフラもネットバンクやカード引き落としに設定した。

これも日本は設定するのに何でも時間がかかりすぎるので、設定するのに4ヶ
月(昨年の11月から3月の間)もかかったが、オーストラリアからの遠隔操作
がほとんど整った。

ところが問題は、実母が今度は頭の「ボケ」が始まったようなのである。
反面、老人特有の「頑固」が出てきて、「自分でできる」といって人のいうこと
をきかないクセに、実はできない、、、これの繰り返しである。

日本にいた時は、繰り返し、繰り返し、パブロフの条件反射になるがごとく
そばでリマインドさせたり、確認ができたが、今はそれができない。

国際電話で「解決策」を説明し、実行しようとすると「拒否」して電話を切る。

こちらが、そこに行きつくまで、どれだけの時間を使い、国際電話で関係各
所に電話をして相談をし、検索をし、解決策を見つけ出し、介護関係者の協
力を得て、やっと実現できるようなった、、、なんて関係ない。

入院中は、いつも「ありがとう」が言えた実母も、2月末に退院させて自宅
へもどった瞬間から「女王蜂」となり、「ありがとう」も「ごめん」も言わなく
なった。

オーストラリアでは、日常的に使われることば「Thanks」がないだけでな
く、何でも間でも「いらない」「私は大丈夫」「あんたに何がわかるの」とい
うこの憎たらしい態度は、だんだん藤井の精神を蝕んでいった。

地理的に離れているので、特に面と向かって言えないので、電話で話そうと
すると、嫌なことを言われると電話を切るというこの態度はもう許しがたい。

仕方がないので、介護関係者から、第三者からアプローチをかけるが、いう
ことを聞かない。困ったものである。

そのクセ、困ったときだけは、何もなかったかのように注文してくる。
(自分では国際電話のかけ方も忘れたらしいので、毎週来る介護サービス
の人に頼んでFAXしてもらっている)。

先日、朝のウォーキングで久しぶりにAnnaとあった。彼女の母親も同じだ
という。結局、年齢が重なると皆「女王蜂」なのか?そんなことはないはず
であるが、どうも彼女の母親も相当な「女王蜂」である。

オージーの友人や回りは「オーストラリアへ連れてくれば?」という。
実際、実母には提案したが「今さら海外はいい。ここで死ぬから」という。

でも、いきなりポックリ死ぬ訳でなないので「あのね、、今度、関西大震災
のような大地震があったら、回りの家は潰れても、この家は残ると思うよ、
でもね、インフラがやられるから生き残れないよ?」と言っても聞かない。

安全策を取るために、オーストラリアから警察に電話したり、電話局の迷惑
電話拒否の手配をしたり、銀行引き落としのできない請求書の会社に電話
して、海外からの遠隔操作で今後の継続した支払い方法を探したり、実母
には、藤井がどれだけ、彼女の見えないところで時間とお金をつかっている
化など関係ないようである。

介護サービスの人間に「嫁だと喧嘩すると、あんたの世話にはならない!
って思うけど、娘だといつの間にか仲直りしているのよ」とシニアエクソサ
イズしている時に言ったそうである。

よく言うよな~、、、まったく、、、貴女がどれだけ娘の気持ちを傷つけて
いるのかわかってんのかないな?と思う。

実家の長が亡くなり、ファrミリービジネスの責任者となったことはビジネス
としてコントロールできる。

しかし「介護認定」をうけているくせに「私は大丈夫」「あんたに何がわかるの」
といいながら、時々だけ「ボケてきた」といいながら、結局は困ったときだけ、
頼ってくるこの「老人」への対応は、やはり自己犠牲が大きすぎて、ときど
きこの不快感を冷静に処理できなくなる。

オーストラリアにいても、1週間の中でこの「老人」の件で拘束される時間
が多い。ファミリービジネスで拘束されるのとは「不快感」が違う。

日本で一緒に生活していても、オーストラリアにいてもこちらのアドバイス
には「私は大丈夫」と言いながら、大丈夫でない老人を相手に生活するという
のは大変な労力である。日本にいる間は、本当に、自分の場所も、気持ちの
生き場もなく、ストレスで、便秘になったり、体重が増えたりし、とにかく、
一日でも早くオーストラリアの我が家へ戻りたいと思う。

実母はそんなことお構いなしである。
文句の連続で、「ありがとう」も「ごめん」も言わなくなった。

母の日、植物が大好きなオ-ジーの母に「欄の鉢植え」をあげた。日本の実
母にはネットでやはり鉢植えを送った。母の日なので「ありがとう」のカード
が添えられて、、、。多少、抵抗があったが、、、、。

4~5日後、いきなり電話があった。6週間ほど、自らは音沙汰なしだった。

家の電話での「国際電話がかけられない」といいながら、一応、4ヶ月ぶり
に初めて「お花、ありがとう」と言った。

家の壁には、国際電話のかけ方から、必要な人たちの電話番号は全部リスト
にして貼ってある。万一、また事後や入院になったら、関係者がスグにわか
るように、主治医や手術した医者、飲んでいる薬、介護関係者の詳細とサー
ビ、、全部ファイルにして、渡してあるし、そこにも連絡先が掲載してある。

前は、ちゃんと国際電話もFAX受信もできたが、今はできなくなった。

それでも「私はこの家で一人で暮らすのがいい」という。
そして藤井には「ふん」とか「あんたに何がわかるの」と、まー、憎たらしい。

まったく、、、実の娘の運命とはいえ、実の親子だからやってられるのだが、
ボケ頑固老人への対応は、これからますます頭痛の為になりそうである。

年を取っていくのは、人間、皆、誰しも同じ運命だ。

しかし、「女王蜂」は結局、回りの支えがないと生きていけない。必ず、回り
が面倒みてくれている。同じ世話される「女王蜂」になるなら、回りから愛さ
れるようにふるまう方が得策である。

謙虚になれる、回りから愛される老人になる方がだんぜんと得策であり、将
来、私たちはそういうシニアになろうね、、、とCQLA常連のAさんと先日も確認
しあったばかりである。

頑固な老人は、今も昔も日本にもオーストラリアにもいる。

しかし、いくら頑固でも「ありがとう」が誰にでも言える人間でなければ、自分
が損をする。

「ありがとう」は人をHappyにさせる魔術だ。いくら言っても減ることは無いか
ら、素直に連発できる人間になる方がよっぽど運が回って来る。

人生、いくつになっても「前向き」である人間は、いつでも「マル得」である。


2011/05/21(土) | オーストラリアが好きな理由 | トラックバック(-) | コメント(-)

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